桂 枝雀 落語大全 第二集
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桂枝雀 (2代目)
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桂 枝雀(かつら しじゃく、本名=前田達、まえだとおる、1939年8月13日 - 1999年4月19日)は兵庫県神戸市生まれの落語家。弟は、奇術師でマジカル落語をしていた、マジカルたけし(本名=前田武司 まえだたけし)(故人) 昭和35年(1960年)に神戸大学文学部に入学するが、翌年中退。のちの人間国宝桂米朝 (三代目)に入門し「桂小米(かつら・こよね)」(十代目)と命名された。 素人お笑いトーナメント荒しとして知られ、落語においても天才的なセンスを発揮した。顔がチャーリー・ブラウンに似ていた為、お茶の間にも親しまれた。 1973年10月に「桂枝雀」(二代目)を襲名。その重圧からか、このころからうつ病(本人曰く、『死ぬのがこわい病』)を患うようになった。 代表的な持ちネタとしては「代書(代書屋)」が挙げられる。この噺は大師匠にあたる四代目桂米團治の作で、代書屋とは現在の行政書士にあたる。枝雀の「代書」は、サゲがもともと大食いの話になるものであったが、あるときから「私の本職は、ポンで~す」とポン菓子製造の内容に変え、さらに人気のあるネタとなった。英語落語で海外にも進出した。 「緊張と緩和」が笑いを生むとする独自の落語理論を唱えた。これについて、同病、同業ともいえる作家中島らもは、笑いを理論的に追求しすぎることは精神衛生上好ましくないとし、自殺の可能性も含め憂慮していた。 映画「ドグラ・マグラ」にても活躍した。 古典ネタをさらに練り上げ、完成度を高めようとしたが上手くいかず、うつ病にかかる。一旦は回復しかかったものの1999年3月13日に首吊り自殺を図って入院し、同年4月19日に心不全のため死去した。 引用元/ウィキペディア |